知久寿焼website

石川さんDANRO最終回記事への訂正と補完

もと たま の一員だった知久です。石川さん、連載おつかれさまでした。記事中の、
『結成から2年後に柳原が「もう解散するか〜」と言い出した。そこで知久が慌てて「ベースを入れてさらにきちんとやろうよ」と提案し、ベースを募集することになった。』
この部分は事実と違うので訂正・補完させてください。ただし、石川さんはその場に立ち会っていなかったのでこの表現になってしまったのはいたしかたないことと理解しています。当時、こういうことになったと石川さんに事後報告したのはぼくだった可能性が高いですし。

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夏の西日本巡りを終えて少ししたころ、柳原さんが話があるとぼくの家に来て「たま はもうやめたい」と。ぼくはそれは嫌だと、こんなにおもしろいことをなぜやめてしまうのか?と、ああだこうだくいさがってさんざん説得。口説かれくたびれた柳原さんは「口じゃあ知久くんには勝てないやぁ、じゃあこうしてくれたらもう少し続けてもいい」と2つの交換条件を提案。

1)ベースの導入。
2)それに合わせ石川さんの叩きものをもっとちゃんとしたものにする。フロアタムとスプラッシュシンバルの導入。拾い物のスネアをしっかりしたものに新調。

つまり音楽的にまともな感じに近づけたいと。
その当時の3人編成の「ポピュラー音楽未満的足らずさ」も含めて、というかそれこそが持ち味と認識していたぼくには正直全く頷けない提案だったけど、彼もここは譲らず、解散よりはマシかといたしかたなく妥協、同意。形を変えての「たま」継続となった。
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ということです。
その後ベース初心者として加入してくれたGさんも「ええっ?ベースいれちゃうのぉ?このままがいいのになんでまた?」みたいに思った、というようなことを言ってました。他の誰かが加わってしまうのなら自分が入ったほうがいいだろう、と思って電話してみた、と。彼は一度対バンしてからとても気に入ってくれたみたいで、その後しょっちゅう当時の たま のライブに来てくれていました。
ぼくはあくまでもベース担当としてお迎えしたのでGさんにはベースだけに集中してもらうつもりでいたんですが、空き家での練習のとき石川さんが、Gさんもベース弾きながら歌えるんなら歌ってほしいと言い、そうなっていきました。

石川さんのたいこセットは柳原さん監修のもと、小俣くんが構築してくれました。当時二十歳の小俣くんはビル掃除のアルバイトでぼくと知り合い、機材車を携えて、音響+重要な助っ人としてこの時期から加わってくれました。柳原さんと小俣くんと3人で浅草の打楽器専門店に出かけていろいろ物色したのは楽しい思い出です。雷門通りの民謡具屋さん店頭で見つけた民謡練習用小太鼓も加わりました。ついでにぼくの親の遺品の創価学会の鐘も…。
さらにベース導入に合わせて柳原さんからマンドリン導入の提案。あわせて小俣くんの出現により機材の充実化が進みます。ぼくからはアコーディオン導入と弾けないのに中古で買ってあった足踏みオルガン導入を提案して、解散の危機をきっかけに一気に様変わりしました。ぼくはもう、新しい たま の音が楽しくてしょうがなくなっていました。

思い出しはじめるときりがない…。
この、解散の危機を乗り越えて「どうにかこうにかポピュラー音楽足るかんじの変態アコースティックバンド」への脱皮、という出来事がなければ、つまりはそのきっかけの柳原さんのもっと音楽的なことをやりたいという交換条件の提案がなければ、その後の たま の一時の商業的な成功はなかったと認識しています。

【追記】2020 04 17
●初掲載数時間後、数箇所詳細を追加しました。
●もとの記事サイト https://danro.asahi.com/article/13256413 が終了していたため要約コメントはそのサイトには投稿できませんでした。以下、その投稿できなかった要約を掲載しておきます。
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もと たま の一員だった知久です。石川さん、連載おつかれさまでした。記事中の
『そこで知久が慌てて「ベースを入れてさらにきちんとやろうよ」と提案し、ベースを募集することになった。』
この部分は事実と違うので訂正・補完させてください。石川さんはその場に立ち会っていなかったのでこの表現になってしまったのはいたしかたないことと理解しています。全文が投稿枠に収まらず以下要約です。本文→ (ここのURL)
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柳原さんが「たま はもうやめたい」と。ぼくはそれは嫌だと、こんなにおもしろいことをなぜやめてしまうのか?とさんざん説得。柳原さんはしばらくのバンド継続について2つの交換条件を提案。
1)ベースの導入。
2)それに合わせ石川さんの叩きものをもっとちゃんとしたものにする。
つまり音楽的にまともな感じに近づけたいと。
その当時の3人編成の「ポピュラー音楽未満的足らずさ」も含めて、というかそれこそが持ち味と認識していたぼくには正直全く頷けない提案でしたが、彼もここは譲らず、解散よりはマシかといたしかたなく妥協、同意しました。結果、良い方向に。