『桃の月』天野天街インタビュー


『桃の月』創刊号(表紙・田岡一遠)

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少年王者舘・天野天街インタビュー

雑誌「桃の月」創刊号(1986年)

30年、300年後にパンツをはく自分のなつかしさ

「実は知ってるんだよーってことは、ずーっと小さい頃から思ってました。」

ボクイクヨ
ボクイクヨ
ボクイクヨ
つらくても涙ながすなよっ
うん!
大事な荷物落とすなよ
うん!
走っていくかい
うん
宙飛ぶかい
うん
宇宙飛行士でい
人工衛星でい
コーもりでい
呪文となえるぞ
おう
イ・イイコオル・エム・シイ・ジョウ(E=MC2
おう!!

 名古屋で活動している劇団・少年王者舘の『自由ノ人形』の冒頭セリフである。

 82年3月に創立して以来、年に二回のペースで公演をしている少年王者舘。東京では、84年夏に『自由ノ人形』をザ・スズナリ(下北沢)で、去年の夏に『マバタキノ棺』をタイニイ・アリス(新宿)で公演した。

 紙の兜をかぶった少年や少女たち。オモチャの刀を武器に、宙を飛んだり落ちたりしながら、目に見えない”何か”を切っていく。

 それは、あじさいの薄紫色の花びらだったり、夏をよぶシルシの青い空や雲であったり…。スパッと”何か”を切ったり、宙でトンボを切ったりする音は、目をパチッと閉じて開くマバタキの音に似ている。マバタキをした瞬間は、ド近眼の目でも、視力検査表の{C}マークがハッキリと見えることを、みんな知っているわけではないだろうが、少なくとも観客は、スパッという音(本当は聞こえないのかもしれない)がするたびに、舞台の上に映し出されるなつかしいアノモノたちをハッキリと見ることができるのだ。

 − というのが、『マバタキノ棺』から受けたイメージだった。

 少年王者舘の主宰者、天野天街は60年5月20日生まれの26歳。「写真映りが悪い」と人からよく言われるというが、ナルホド実物のほうがずっとステキだ。ただ、ひとさらいの目をもっているので、月夜の晩には近寄らないほうが、賢明。


− まず始めに、このあいだの公演『マバタキノ棺』のマバタキ、っていう言葉にすごく魅かれて、あれはどういうっていうか、今わりとね、少年性とか、少女性とかっていうことが、もてはやされているみたいで、少年王者舘っていう名前からして、そういうことと関係あるのかなぁと思ったんですけど。

天野「ない、ですね」

− どんなところから、あの芝居を…。

天野「つまり、口と肛門の管である、人間という存在と少年とが同義語という…。つまり、言葉にあまり重さはないです」

− 言葉に重さがない?

天野「言葉で言えないある何か、という想いにどれだけ近づくか、ということです。普通に暮らしてて、ある一瞬すべてがわかった! っていう瞬間て、あるでしょう? 夕焼けがあって、こう見ててさ、「あっ、わかった!」 でもそれは一瞬にしかすぎない。あ、なんかわかった、っていう時があるでしょう、すべてがわかったっていう。でも、普通に生活してると…届かないのね、っていうような、ある一瞬の、そのなつかしさっていうんだけど。昔なつかしいじゃないくて。そういう、けはい、想いを見たいなっていう気がするのね」

− 見たいなっていうこと?

天野「見たいな、やりたいな、感じたいな…なんでもいいんだけど」

− それは、どこかでそういうことを見てるから、また自分たちで見たいなって思って作ってるっていうことなんですか?

天野「どこかで見てるって、どういうこと? 生まれる前に見てるとか?」

− 生まれる前かどうかわかんないけど。どっかで見てるんじゃないかなぁと、思うんだけどなぁ。

天野「どっかで見てる…。見てるっていうのは、ほんとに実際、可視範囲で見てるっていうことですか?」

− 体験してるっていうか…。

天野「かもしれないし…」

− それを、こうこうこういうことで、それと同じようなものを(見たい)っていうことじゃあないわけですね?

天野「(笑)そういうことと、まったく違う」

− なんかね、それを芝居にしちゃうっていうのは…たぶん、他のことでも、他の方法でも…

天野「なんだって、できます」

− うん。それを、あえて芝居にしてるっていうのは?

天野「それはだから、芝居を始めたきっかけっていうのがありまして、中途半端な言いかたになってしまうから、それは置いといて。一回、芝居をやると「ここはできなかった。ハイ、つぎ!」ってなっちゃうところがあって、つまりできないからやってるっていう筋が、まずありまして、それで、やってるっていうか…」

− ふぅん。話は前後するんだけど、さっき天野さんが言った[なつかしさ]っていう言葉なんですけどね、私、[なつかしい]って、なんか恥ずかしい気がするんですね。

天野「恥ずかしいって、自分が恥ずかしいんでしょう?」

− そうそう。だって、今そういうの、流行ってるでしょう?

天野「違う! [なつかしい]って、昔をなつかしんでるんじゃなくてさ、30年後、300年後にパンツをはく自分の、なつかしさ、なんだよ。そういう想いを表す言葉がないかなぁ、と考えたんだけど、やっぱり[なつかしい]っていうのが、一番ピッタリくるから…」

− そうか、従来の意味ではないわけだ。天野さんて、いつぐらいから、[なつかしさ]なんていうことを考えてたの?

天野「基本的に最初から、実は知ってるんだよーっていうことは、ずーっと小さい時から思ってました。本当は知ってるんだよ。けど、わかんねぇな、っていう。本当は、すべてのことを知ってるんだよーっていうことは、いつも思ってました」

− 小さい時から?

天野「(笑)そう、そうですね。誰だってそうだと思うんだけどもー。「知ってるんだよー」って、言葉じゃないから、それがどういう行為に表れてるかは、自分自身がよくわかんない。だって、とってもなつかしいんだもん、っていうの、小さい頃思わなかったかなぁ。ボクは男性だから、ペニスがあるから、う〜んアレだけど。うーんと、こなかったかな、なんかを見たとき。今、具体例をすぐあげられないから、おいといて(笑)ハイ。昔から思ってました」

− でも、それってすごく難しいっていったら、おかしいけど…。

天野「(力をいれて)ものすごく、カンタンなんですよ」

− カンタンなのかなぁ

天野「そう! ものすごくカンタンなことをやってるんじゃないかなぁ。だって、遊ぶとかいったのも(私たちが、雑誌を作るのは遊びですよー、といったことを受けている)近いけど…。実は何でもなかったんだよーっていうのがあって、だから遊ぶんだと思うんだけど」

− 自分で遊ぶのは、カンタンなんですよ。でも、それにさ、他人がかかわってくると、そうでもない。早い話、なつかしいと思ったら、他人にもなつかしいと思ってほしいと、思っちゃうんですよ。

天野「じゃなくて、なつかしいと思ってほしい、じゃなくて、初めから誰だってなつかしいと思ってるんだから。それを、ちょっとつつけば、出てくるなっていう。思ってほしいな、って思ったら出てこないですよ。そういうもんじゃないと思うもの。たとえば、なつかしいっていう気持ちだったら、だって誰だってものすごいところにある話、つまり、ある何か、なんですよ。こうやって、一生懸命に雑誌を作ったり、芝居をしたりする原動力になるひとつだし…」

− 原動力?

天野「原動力っていうと、また言葉になっちゃうけど。そういうものが、初めっからあるんですよ。たぶん。それをポンポンとつつく…そういうことがしたい」


 芝居っていうのが、どうしても面白く思えなかった。数年前、小演劇ブームだというのでだいぶ見たのだけれど、なんだか生理的に受け付けないような感じだった。天野天街も、芝居が嫌いだというのでホッとした。

 初対面の人と話をするのはむずかしい。相手がどんなふうに育ってきて、何を考えている人なのかがまったくわからないのに、いきなり記事にするためのインタヴューをしなければならないのは最低だ。その最低のことを仕事にしている私は、一年に三回ほど失語症んびなる。天野天街も、初対面の人と話をするのは苦手だから、どうしても酒を飲んでしまうという。

 少年王者舘の人々は、みんなとっても仲よしだ。つるんでる、っていうのかな 。でも、最近私のまわりにいる人たちも、みんな仲よし。「身内だけが社会じゃ」が合い言葉になってる。たぶん、すべてがそんなことなんだと思う。

 天野天街が好きだというので、マルクスブラザーズの映画をみた。面白かった。ハーポがかわいい。かわいい男っていうのは絶対にいい。

 二月十六日、十七日と、新宿のタイニイアリスで天野天街率いる、東京黄昏団の「磁石姫」が公演される。また、天野天街の芝居がみられる。また、彼のフワフワとした声がきける。酒がのめる。

 たぶん、そんなことなんじゃないかなって、最近つくづく思うのだ。

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少年王者舘ノ函 by Office K.

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