少年王者舘ノ函

映画『トワイライツ』(1994) 天野天街監督

  • 作成: 2004-08-07
  • 更新: 2011-06-22

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完成記念上映会(愛知県芸術文化センター 12階アートスペースA)チラシ表

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完成記念上映会(愛知県芸術文化センター[12階アートスペースA])チラシ裏

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『トワイライツ』三つ折りチラシ表紙

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『トワイライツ』三つ折りチラシ表紙裏

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チラシより(天野天街直筆)

テキスト

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上映チラシより

地上の各所に置き忘れられた過去・現在・未来の郷愁を採取してマボロシの地図をめぐるノスタルジック・ロード・ムービー

作品解説

 愛知芸術文化センター、愛知県文化情報センターでは、この複合文化施設に最もふさわしい映像作品を独自に製作するという意図から、開館の準備段階より映像製作の企画を進めてきた。複合文化施設の活力ある姿を、光の集合体として誕生する身体像に託して表現したCGによる環境映像、平成3年度製作『シンボル映像』(作・岩井俊雄)。水平線と垂直線が交差する世界に捕らえられた身体、空気の中で出現と消失を繰り返す身体など、斬新な表現によって新しい身体観を提示したと評される、4年度製作『T-CITY』(監督・勅使川原三郎)。『トワイライツ』は、こうした「身体」をテーマとした一連の「オリジナル映像作品」の第3弾に当たる。監督は、名古屋に拠点を置く劇団「少年王者舘」の主宰、劇作家・演出家の天野天街が担当、彼の第1回映像作品となるものである。

 愛知県文化情報センターでは、自主事業において「身体」をテーマとして設定し、いくつかの催しを複合的に展開している。今日の高度情報化社会において、「身体」は「最後の自然」とも呼ばれ、芸術に限らず、哲学、思想、社会学など、さまざまな方面から、新しい時代の新しい身体観の提示が求められている極めてヴィヴィットな主題といえよう。それとともに、専門化、複雑化してポピュラリティを喪失しつつある20世紀の芸術を、もう一度生活に根ざしたリアリティあるものとして回復するための、より一般的で手触りのある親しみやすさも有したキーワードであるといえるだろう。

オリジナル映像作品撮影ルポ

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1993年11月23日、愛知県幡豆郡の吉良町吉田にて、愛知県芸術文化センター・オリジナル映像作品の撮影が行なわれた。

オリジナル映像作品は、様々な映像設備をもつ芸術文化センターの施設としての特性を生すため、この場に最もふさわしい映像を独自に製作する、というプランから始まった。

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第1作は、ジャンルを越えて芸術が融合する複合文化施設の活力を、光の集合体として誕生する身体像に託して表現した、映像作家・岩井俊雄のCG作品『シンボル映像』(平成3年度製作)。続く2作は、舞踏家・勅使川原三郎の初の映像作品であり、垂直線と水平線に捕らわれた身体、空気の中へ溶けていく身体といった斬新なイメージによって、新しい身体感覚を提示したとも評される『T-CITY』(平成4年度製作)。

今年の第3作も、「身体」というテーマを継承、監督は、名古屋を活動の拠点とし、東京、大阪などにも発表の場を広げる劇団・少年王者舘の主宰、劇作家・演出家の天野天街。彼の持つ、プリミティブであり、泥臭くもある「身体」への感性は、映像において、どのような身体像を開示するのか。作品は、人間にとって避けては通れないもの、人間の「身体」が抱える最大の事件であり、最後の物語というべき「死」をモチーフに出発した。

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Q

吉良町吉田のロケの様子を見ると、「死」というモチーフをコアに、さまざまなイメージがコラージュされているようですね。

A

人間とは最後には「消滅」する存在である、だから肉体が消滅していった時の「死」というのは、すぐに連想しました。ただ、祭壇とか棺桶を出したり、大勢のエキストラを白塗りの化粧で出している割りには、露骨に「死」というものが匂わないようにしたい。「死」の瞬間、人間の脳裏には走馬燈のように様々なイメージが去来する、それを映像化できればと思ってスタートしたのですが、「死」というより「消滅する前のあがき」、あるいは「あらかじめ消滅してしまった者の記憶がさまよっている」という感じでしょうか。

Q

「死」というのは「時間の消滅」といえるのかもしれません。そういった点で「時間」へのこだわり、といったものが見受けられますが。

A

ロケで撮ったものは皆「現代の日本」なのですが、できうる限り「時代」とか「時間」を感じさせないものにしたい。そのために、違う時間、時代を感じさせるような古ぼけたものを持ち込むことで、時間から自由になることができるのではないか。ですから、単に「懐かしい」とか「ノスタルジック」な感じを出したい、というのとは逆で、本当のねらいは「時間を消すこと」にあるのです。

Q

今回、天野さんが「死」からアプローチする身体像というのは?

A

時間という流れから浮いたような「身体」が表現できたらいいな、と思っています。フィルムの中に封印された身体は、「時間」から離れることができるのではないかと。ですから、18コマ撮影を基本に早回しとかコマ送りとかを多用しています。現実の時間を離れ、カタカタした昔の活動写真の運動を連想させる機械人形的なもの、ゼンマイ仕掛けの身体、普通の切って血が出る体とは違うものが駆け回る、チカチカ、チャラチャラした騒々しいイメージを出したいですね。

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吉良町吉田のロケは、作品のクライマックスであり、最大の見せ場でもある、180m、10分間にわたる大がかりな移動撮影である。「死の瞬間に走馬燈のように去来する様々なイメージ」が、横移動のワンシーン・ワンショットの時間とシンクロして展開する。

静かな、ひなびた港町の風景に、ノスタルジックな雰囲気を持つ様々な大道具、小道具が持ち込まれ、この町の時間と空間をズラしつつ、同時に奇妙な調和を見せているのが興味深い。

監督以下、16mm映画を手掛けるのは初めてという劇団メンバーを中心としたスタッフからは、映画を手作りで撮っている、といった初々しさ、良い意味でのアマチュア性が感じられ、そうした活気は、必ず完成した作品に反映してゆくのではないだろうか。

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(インタビュー・構成 TE)
AICHI ARTS CENTER spring'94(愛知県芸術文化センター発行)より

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