こらない

2004-04-30(金)

キューバ本を読んで1

やっと読了。

子どもの頃、特にわざわざ考えたわけではないけど、世の中は循環社会だと思っていた。
だって、どんどん捨ててるだけだったらいつかゴミだらけになるのは明らか過ぎるもの。
ところが、社会の授業か何かで「燃えないゴミはでっかいゴミ捨て場にどんどん捨てて埋め立ててる」と知りびっくりした。
ええー? どんどん捨ててたら、いつかは日本中ゴミだらけになるんじゃないの? おかしいじゃんか。
で、たぶん授業では「ひとりひとりがゴミを出さないように気を配らなくちゃいけない」とかって結ばれて、素直に「そうだなあ」と思った。
思っただけで終わったのは、皆さんと同じ。

その後年齢も上がり、個人が気をつけた程度で押さえられるゴミの量なんて、企業とか工場といった「大人の施設」から出るゴミの量に比べたら屁にも満たないと知り、アホらしくなった。
個人が一生かかって節約できるゴミの量なんて、どこかのでっかい企業がちょっと工夫するだけで軽くクリアできる。
順番が逆だ。
まずは「大人の施設」をどうにかするべきだろ。

もう少し経つと、男の子らしく「未来の技術」に希望をたくすようになる。
なんかこう、素敵な技術が、ゴミに限らずいろいろな問題をキレイに解決してくれるに違いない。
でも、この頭の悪そうな考えはさっさと放棄。
「素敵な技術」ができてから考えることじゃん、と。

その後、ますますプラスチック製品は増え、かなりの間ガマンしていた飲料用のペットボトルも「まあいいじゃん」って感じでどこかの会社が使いはじめ、世の中はあっという間にペットボトルだらけに。

原子力発電の話を聞けば、「ここで出た危険なゴミは、深ーく深ーく穴を掘って、埋めます」とか言う。
どうしても、それが頭の良い人の考えることとは思えない。
宇宙船地球号の話はどうなったの?

これも何度か書いたのだけど、高校で宇宙飛行士の方を呼び、いろいろと話をしてもらったことがあった。
その時、いろいろなものを「宇宙」に捨てていると聞き、それらが回収もされず軌道上をぐるぐる回っていると。
そのためにロケット発射時のいちばんの障害になっている、と。

そうかー。
まじめに考えるだけ損するなー。
みんなそんななら、石油でもなんでももっともっと使って、もっともっとゴミを捨てて、「わーん、もうどうしようもないよー」ってなるのを見る方が楽しそう。

けどそのうちやっぱり、もうほんとにマズイと。
「企業がうんぬん」とか「国がうんぬん」って言い訳とか「気をつけたい人が気をつければいい。その分アタシは楽させてもらますわ」とかってわがままなしに、ほんとにひとりひとりが何かしらやっていかないと。
牛乳パックを洗ってリサイクルに出すのが、ペットボトルを買わないようにするのが、車に乗らないようにするのがどれほどの効果があるのか知らないけど、自分の中にいくつかはルールを決めて「それが普通」にしていかないと。

というところに至ったのが結婚した頃でしょうか。
これが、特に環境問題やらを勉強したりすることなくフツーに生きてきたアタシの、自分ではフツーだと思っているフツーの流れ。

つづく。

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