こらない

2009-09-07(月)

昔写真その8(1993/1990年)

こらない - 昔写真その7のつづき。

だいたい1993〜1994年くらいの写真を載せてきたけど、さらに昔の1990年の写真が出てきた。
高校3年生。
というわけで、今回は1993年の写真と、最後に1990年の写真を1枚。

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1993年7月。
以前も紹介した、ロケット。
名古屋大学の近くにあった。
長澤さんの。

ここがなくなって、今度は塩釜口に「マタンゴ」っていうカレー屋さんを出すことになるんだけど、その頃アタシは塩釜口に住んでて。
店を作り始めてからオープンするまで結構時間があって、「このけったいな店は、なんなんだろう?」と思っていたら、長澤さんの店だったという。

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1993年7月。
大曽根のすずらん南座にて、大衆演劇。
この頃はもう大学生だけど、高校3年の時に大衆演劇にはまって。
ひいきにしてたのは、松井誠一座。

時代劇や現代劇を2〜3本やって、最後はレビューショー。
そのレビューショーの時に、おひねりが飛んでくるわけだけど、その金額がハンパじゃない。
桟敷に降りてきて客席を練り歩くと、衣装の隙間に万札が次々と差し込まれるの。
あと、首に万札のレイがかけられる。
レイってあれね、ハワイとかで首にかけられるレイ。
そんで、おばちゃんたちがペンライト振ってるの。

最初観に行った時、もうカルチャーショックで。
そんで、クラスメートとか、担任の教師とか誘って、みんなで何度も観に行ってた。

その松井誠氏、この何年後かに、浅丘ルリ子さんとの交際の話題でマスコミに出てきてびっくりした。
松井誠 - Wikipedia

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1993年7月。
塾講師姿。

教えてたのは、橘教室、六番町教室、中郷教室、桜山教室、本郷教室の5つの教室。
上記写真は、中郷教室だな。
教えてたのは基本的に中学生、あと小学生高学年も。

この5つの教室、それぞれ名古屋市内のあちこちにあって、地域によって生徒の「種類」がまったく違ってて面白かった。

例えば、本郷教室(名東区)は、その当時の新興住宅街で、それもあってか生徒もいけすかない感じ。
「先生、冗談はいいから、早く授業を進めてください」とか言い出しそうな。
身綺麗で、ブランドものの服とか着てそうな感じ。

対して、上記写真の中郷教室(中川区)の生徒は、泥だらけになって蝉とかトンボとか捕まえて「先生ー! ほらー!」とかって塾に来る。
かわいい。
ちょーかわいい。

橘教室は、大須とか金山とかの生徒が集まってて、都会っ子なので、ませてる。
商売してる家の子どもも多くて、ませてる。
大人。

アタシもハタチそこそこなので、実は生徒とアタシの年齢はそれほど違わないのだけど、向こうはこっちのことをうんと年上だと思ってるのね。
一度アンケートとってみたら、基本的に30歳以上だと思ってる。
そんなわけで、「先生、結婚してるの?」とか訊かれる。
で、「してない」って答えると、「モテないんだー」とかってはやし立てられる。
こっちだってまだハタチだってば。

あと、他の男性の先生と話してたりすると、「ホモ、ホモー!」とかって言われるのね。
それから「サド」とか「マゾ」とかって言葉も知ってる。
なので、授業で「サドっていうのは、ドナティアン・アルフォンス・フランスワ・ド・サドというフランスの侯爵が…」とか「オーストリアのマゾッホという作家が…」って説明してあげると、かなり真剣に聞いてくれたり。
で、調子に乗って「オナニーっていうのは、旧約聖書に出てくるオナンという男が…」って話しだしたら、急に生徒がみんなおろおろして下を向いてしまったり。
たぶん、サドやらマゾやらってのは自分とやや遠い世界の話として聞けるのだろうけど、オナニーはね、中学生にはね、ちょっとどう距離をとっていいか難しい単語よね、という。

ちなみに、そういう話も、話す教室を間違えると、親に通報されて「いったい授業で何を教えてるんですか!」と叱られるので注意、でした。

あとそうそう。
中学生女子は「つるむ」ので、一度その教室でボス的存在の女子リーダに嫌われたら、その1年はもう授業にならない(ってことはないけど、すごく面倒なことになる)。
「目立つ系ボス」はすぐ分かるし、嫌われてもコミュニケーションのとり様があるのだけど、「目立たない系ボス」ってのもいるのね。
陰湿系。
そういうのは困る、というか結構どうしようもない。
だいたいは、「かわいい子をひいきした」とかそういう理由。
今の中学生がどうか知らないけど、当時の生徒はとにかく「ひいき」にはものすごく敏感なので、こっちも注意してるんだけど。

というか、ひいきしてなくても「ひいきだ、ひいきだ」と言われがちなので、アタシはいっそ、わざとひいき対象を作って、思いっきりひいきしたりしてた。
「そういうネタ」みたいにしちゃう。

その逆で、アタシが人気者になる場合もあって、そういう教室ではバレンタインデーとかにチョコレートをいっぱい貰うことになる、と。

面白いのは夏期講習の時で、この時は全部の教室が1つの教室に集まることになるのよ。
そうすると、アタシを目の敵にしてる生徒の教室の生徒と、アタシが大人気の教室の生徒が、混ざることになる。
すごーく妙な空気になるのね・笑。
面白かったなー。

どっちにしても、生徒になめられると授業がしにくくなる、ってことでアタシが使ってたのは、最初の授業の時に、黒板に世界地図を書き上げる、という手。
何も見ずに「ヨーロッパがこんな感じで、ここがスペインでここがポルトガル、ピレネー山脈を挟んでこのあたりがフランス、こっちがドイツ、でこうやってイタリアがあって…」とか言いながら、黒板を埋めていく。
そうすると、それなりに尊敬されたりして、1年が無事に過ごせる、という。

ちなみに、その塾は、頭にハチマキ締めて受験に備えるようなところではなくて、町の寺子屋といった風情のところ。
それでも、夏休み前には、学年ビリだった生徒が、夏休み後に学年トップに躍り出るような事例は毎年いくつもあって、すごく面白かった。
中学生までの勉強なんて、最低限の漢字の読み書きと、分数の計算までができるようになってれば、あとは本人のやる気次第でいくらでも伸びる、というのがアタシの持論。
逆に言うと、最低限の漢字の読み書きと分数の計算ができないと、ちょっと難しいだろうけど。

塾講師をやってて学んだのは、人前で話すためには、数字まで覚えてないといけない、ということ。
「すごくたくさん」なんて言い方は主観でしかないから、全然伝わらない。
客観的な数字/数値が必要。
「すごく重い」ではなく、「50kg」って数字が必要だし、それが「10kgの米袋5つ分」とか「1リットルのペットボトル50本分」とかって言い換えれないと、伝えられない、みたいな。

ちなみにその塾は、アタシが大学3年の時に、生徒数減少の波に勝てず、閉めてしまいましたのでした。

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1993年11月。
円頓寺のロックバー「テラゾ」。
UFOを呼ぶバンド、シバ・ハリケーンの。
まだあるのかな。

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同じく円頓寺の「あむりた」。
ここはもうないみたいですね。
なつかしいなー。

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1993年12月のアタシのアパート。
ワープロだ。
書院だ。
ギターだ。
こたつだ。

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同じ時の、アタシのアパートの壁。
高丘親王航海記だ。

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急にさかのぼって、1990年8月。
高校3年生。
YAMAHAのマリンジェットに乗るアタシ。
今のアタシからすると、意外かも知れない1枚。

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