こらない

2004-07-20 (火)

2004-07-18:『平太郎化物日記』とキセル

日曜日。

10時の新幹線に乗っているつもりが起きたら10時。
慌てて支度をして東京駅へ。
追加料金を支払わなくてものぞみに乗れることを今さら知り、というか、のぞみに自由席があることを今日初めて知って驚く。
名古屋、ますます近いねえ。

天野さん演出の人形芝居『平太郎化物日記』@七ツ寺共同スタジオへ。
天野さん演出の、というより、役者が人形とすり替わった王者舘の芝居といっても良いかも知れず、つまり照明や音響、映像といったスタッフは皆王者舘本公演と同じ。

会場へ向かう途中、アタシが名古屋に住んでいた頃に毎週連れ立って共に無為な時間を過ごしていたアンドさんに偶然遭遇し、一緒に観劇することに。

正面に障子という舞台セットも王者舘の芝居によく見られるものだけど、ひとまわりもふたまわりも小さい。
平太郎化物日記は、平太郎という少年が7月の1ヶ月間、毎晩たずねてくる化け物たちに立ち向かったり立ち向かわなかったりする「実話」で、その枠だけ引っ張ってきて、この人形劇の中でも毎晩いろいろな化け物が現れる。
つまり、生身の人間ではない「人形」によって可能となる、例えば空を飛ぶとか、例えば「増える」とか、そういったアイデアを実現したさまざまな化け物が所狭しと暴れるわけである。
そんな細かいアイデアを考えださせたら、天野さんの右に出るものはいない。
芋虫が簡単な仕掛けで蝶に生まれ変わるところなんかは、ちょっと感動した。
首をひっこ抜くとか、頭を半分に割るとか、人形だからできることって無限だなあなんて思っているうちに、「人形が上から糸で吊るされている」という制限に気付いた。
例えば、ドアを「くぐる」なんてことが不可能。
それに気付いてからは今度は制限の多さにちょっとびっくりした。
できないことって意外と多そう。

見終わったあと、逆説的に「すげえ」と思ったのは、あまり「こんな動きを人形でできるなんてすごい!」と思わなかったこと。
それはもう、ごく普通に人形が生きていて、舞台の上で動いていた、ってことなんだろうなあ。
以前東京で見たXXXなんかは、例えば犬の人形がまるで本物の犬のように動いていて、「これが人形操りの技術でござーい」といった感じだったけど(別にそれが悪いわけじゃない)、ええと、まあ、いろんなものがあるんだな、と。

お話自体に涙は流れなかったのだけど、最後に人形を操っていた人たちが舞台セットの中から汗びっしょりで顔を出した際、なんかもう愛おしくて涙が出てきてしまった。
おそらく慣れない注文や無理無謀と思える演出の連続だったんじゃないだろか。
けど、やってる側も、ものすごく楽しかったんじゃないだろか。
とかもう勝手に想像してしまって。
いや、なんか皆さん、すんごくうれしそうな顔をしてらっしゃったので。

終演後、みなさんにちらりと挨拶したのち、アンドさんと大須のたばこ屋めぐり。
アンドさん、最近キセルを愉しんでらっしゃるらしく、アタシもちょうどそんなことを考えていたところだったのでご教授願う。
というか、アタシはキセルのことは頭にはなく、パイプを考えていた。
山へ行ったときにフィルターごみが出ないというのと、あと体験したことがないので興味がある、という理由。
ただ、パイプって大袈裟というか、なんかちょっと、ほら、パイプってあまりにパイプじゃないすか。
と思っていたところにキセル。
刻みたばこを詰めてシュッと火をつけてフィルターも通さず直接吸うわけだけど、その刻みたばこが1種類しかないらしい。
その名も「小粋」。
もうひとつ「やまぶき」というのがあったらしいのだけど、昨年2003年7月に廃止になったらしい。
http://www.tokuzaemon.co.jp/remenber/remenber-yamabuki.htm

というわけで、赤門堂(中学の同級生の家)等のたばこ屋さんを数件まわったものの、どこも休みだったり扱いがなかったり。
赤門堂は売れ切れになっていた。
東京でうちの近くにたばこ屋さんってあったかなあ。

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